奨学金に救われた、貧乏な大学院時代の思い出
- 2016/11/15
- 貧乏
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35歳、男性です。
これまで経験した貧乏生活について書きます。
それは、ぼろアパートで下宿をしていた学生時代でした。
学生時代にお金に困ったのは、4年制大学を卒業した後に、大学院に進学することを決めたためでした。
大学4年間の学費は、両親から出してもらっていたのですが、さすがに大学院の学費までは面倒をみてもらうことはできませんでした。
しかも、大学院に通うために、下宿が必要となったので、学費とアパートの下宿代を自分で工面しなければならなくなりました。
まず、大学院に進学する前に、集中的にアルバイトをして授業料をなんとか捻出することにしました。
時給、日給が高い、力仕事のアルバイトばかりでした。
とくに多かったアルバイトが、引越しや重たい荷物の搬出入でした。
給料のいいアルバイトなら、とにかくなんでもやってみることにしました。
必死に働いた甲斐があってか、なんとか入学金と学費を工面することができました。
しかしながら、下宿生活は、まったくお金がありませんでした。
大学院になると、授業の準備も大変で、アルバイトをする時間もなかなかありませんでした。
そのため、とにかくお金がなくて食べるのにも困るような状況でした。
食事は、スーパーで買ったインスタントラーメンばかりでした。
大学卒業後には、ほとんどの同級生が就職して社会へ巣立っていきました。
ときどき、大学時代の同級生に会うと、いつも飲食代をおごってもらうような状態でした。
この時はいつも、情けない気持ちになりました。

なあ、お前と飲むときはいつも白木屋だな。一番最初、お前と飲んだときからそうだったよな。
俺が貧乏浪人生で、お前が月20万稼ぐフリーターだったとき、おごってもらったのが白木屋だったな。
「俺は、毎晩こういうところで飲み歩いてるぜ。金が余ってしょーがねーから」お前はそういって笑ってたっけな。
俺が大学出て入社して初任給22万だったとき、お前は月30万稼ぐんだって胸を張っていたよな。
「毎晩残業で休みもないけど、金がすごいんだ」「バイトの後輩どもにこうして奢ってやって、言うこと聞かせるんだ」
「社長の息子も、バイトまとめている俺に頭上がらないんだぜ」そういうことを目を輝かせて語っていたのも、白木屋だったな。
あれから十年たって今、こうして、たまにお前と飲むときもやっぱり白木屋だ。
ここ何年か、こういう安い居酒屋に行くのはお前と一緒のときだけだ。
別に安い店が悪いというわけじゃないが、ここの酒は色付の汚水みたいなもんだ。 油の悪い、不衛生な料理は、毒を食っているような気がしてならない。
なあ、別に女が居る店でなくたっていい。
もう少し金を出せば、こんな残飯でなくって、 本物の酒と食べ物を出す店をいくらでも知っているはずの年齢じゃないのか、俺たちは?
でも、今のお前を見ると、お前がポケットから取り出すくしゃくしゃの千円札三枚を見ると、 俺はどうしても「もっといい店行こうぜ」って言えなくなるんだ。
お前が前のバイトクビになったの聞いたよ。お前が体壊したのも知ってたよ。
新しく入ったバイト先で、一回りも歳の違う、20代の若いフリーターの中に混じって、 使えない粗大ゴミ扱いされて、それでも必死に卑屈になってバイト続けているのもわかってる。
だけど、もういいだろ。十年前と同じ白木屋で、十年前と同じ、努力もしない夢を語らないでくれ。
そんなのは、隣の席で浮かれているガキどもだけに許されるなぐさめなんだよ。
これだよ。
お金はなかったものの、両親にはこれ以上の負担をお願いすることはできませんでした。
三人兄弟の長男で、まだ弟と妹が大学生だったため、両親としては兄弟の学費の工面もしなければならなかったからです。
そこで役に立ったのが、日本育英会(現日本学生支援機構)の奨学金でした。
この奨学金は、学生時代に借りていたものです。
しかしながら、有効活用することもなく、多くが預金として残ったままでした。
そこで、大学院に進学したこともあり、返済を延期する手続きをとって、大学院の入学金と授業料にあてることにしました。
当時借りていた奨学金は、有利子の第二種奨学金で、月額5万円が支給されていました。
それでも、大学時代と違ってアルバイトにあてる時間もそれほど取れそうにありませんでした。
普段はカップ麺などで、生活費をできるだけ切り詰めるようにしました。
下宿も家賃3万円と格安の物件だったものの、築年数不明という、今にも倒壊しそうな木造のアパートでした。
そして、夏休みなどの長期休暇はアルバイトに精を出すことにしました。
振り返ると、夏場も冷房も効かないようなあついあつい倉庫の中で、汗だくになりながら力仕事をしたこともありました。
この下宿は、冬になると風が吹き込んで寒かったのを覚えています。
暖房器具は、古いこたつと、小さい電気ヒーターだけでした。

貧乏生活の思い出を語ってくれたこの人も、こたつ使ってたな。
こたつは貧乏必須アイテムなのか。
さらに悪いことには、頻繁に風呂のガスが故障してしまったことでした。
寒いのに、これでは、風呂に入ることもできません。
仕方がないので、ガスコンロで鍋のお湯をわかして、そのお湯を浴槽にためて、お風呂につかったこともありました。
しかしながら、貧乏な学生生活はなかなか終わりませんでした。
もともと大学院を修了した後は、就職するつもりでした。
ところが、大学院在学2年目に就職活動したものの、内定を獲得することができなかったのです。
そのため大学院を1年間休学して、翌年の就職試験に備えることになりました。
もちろんその間の生活費は、アルバイトをして収入を稼ぐしかありませんでした。
そこでさらに奨学金の返還をもう1年猶予してもらう手続きをしました。
その間に、就職試験の勉強と平行して、アルバイトに精を出しました。
そのころは、家庭教師や塾講師のアルバイトを中心に、お給料をいただいていました。
その後、休学期間を経て、運よく就職先も決まり、ようやく復学することができました。
休学中に、ためておいたアルバイト代と奨学金が、残りの学生生活の授業料になりました。
そして、再び、かつかつの学生生活が始まりました。
それでも、就職先が決まっていたので、気持ちは少し楽でした。
無事、就職先が決まったことで、奨学金の返還を始めることができました。
第2種奨学金の場合、利息を上乗せして毎月の返還分が口座から引き落とされます。
これを10か月分まとめて支払う繰上返還の場合は、最初の1か月分を除いて9か月分は利息がかからないことになっています。
そのため、貯金に余裕があるときは、何度か繰上返還をしました。
大学4年分の奨学金を返還し終えたのは、社会人になって数年がたったころでした。
長期休暇中のアルバイトも生活費の足しにはなりましたが、入学金や授業料といったまとまったお金が必要になる際は、それだけでは間に合いませんでした。
今思うと、無事に大学院を修了することができたのも、奨学金があったおかげだと思っています。
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